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No.18 「なげいれ論」

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〜 部長リレーコラム 〜

No.18 「なげいれ論」


c18p.jpg先日、青年部で茶花講習会を行なった時、花を生けるだけではなくて、何か講義的な事も行いたいと思い何かテキストとなるものが無いかと資料を探したところ、川瀬敏郎著 「花は野にあるように なげいれのすすめ」という本を見つけその中に「なげいれ十ヶ条」という項目があったのでそれを読んで興味深い内容だったのでその感想を書きたいと思います。

一、なげいれの原点は茶花

花を立て生ける「いけばな」と違い、花本来のありのままを活かす生けかただと思います。

二、なげいれとは"個性流"の花

なげいれはテンプレがないので、即興的要素があるので演劇のエチュードにも通じるものがあると思います。
あと、この項目で川瀬氏は「ただし、個性流と勝手流を混同しては、なげいれの精神は伝わらないので要注意。」と書かれていたのが印象的です。

三、なげいれとは"偉大なる素人の花"

以下、川瀬氏の言葉を引用したいと思います。
「なげいれの魅力は、徹頭徹尾素人に徹する邪念の無さが根源です。プロを手本としながらも、プロのものまねに終わっては魅力も半減。あくまでもうまいへたを越えた個性流を貫いてこそ、プロも顔負けの"偉大なる素人の花"の品格が具わるというものです。
しかしなげいれには型がないだけに、その人の生き方の哲学や人格を磨く努力を怠ると、たちまちに魅力が失せてしまうこともお忘れなく。」と書かれています。

四、なげいれは生活の美学

「なげいれは、どこまでも生活の中の用の美を貫いた花。花の芸術性や造形性を追求するのではなく、生活の中に生かされてこそなげいれです。」と素敵な事を仰っています。
そして、「それだけにその人の生き方が明確で、ライフスタイルが定まっていないと、なげいれも雑然とした花になって、方向を見失ってしまいます。生活の方向が定まれば、何を切り捨て何を生かすかは、自ずとわかってくるものです。」と重要な事が書かれています。

五、なげいれとは剣山を用いない花

剣山というデフォルトがない事で遊戯性が出て、「工夫」ということが遊びとなりそこがなげいれの醍醐味の一つだと思います。

六、なげいれとは季節をクローズアップした花

やっぱり、自然を体感しないと表現できないように思います。
だから、「書を捨てよ、町へ出よう」ならぬ「書を捨てよ山へ出よう」ということでしょうか?

七、なげいれとは魂の技巧の花

「なげいれは、いうなれば魂の技巧の花。努力の跡や苦心の跡を花に残さないことは、なげいれの大事な習いの一つです。」
最近になって、品格ってなんだろうと考えることがあり、こういった事が品格の一つなんじゃないかなと思いました。

八、なげいれとは"あっ、昔どこかで出逢ったことがある"と思う花

「なげいれの故郷は自然です。人間は長い年月をかけて、自然に人間の感情を託し、人間と自然が融合一体となった人間的自然を築き上げてきました。それゆえに自然の草木は単なる植物ではなく、私たち人間の感情を持っています。
なげいれは昔から、自然のなつかしい面影をたよりに入れよ、といわれます。"あっ、昔どこかで出逢ったことがある"と、見る人に心の原風景を想い起こさせるのがなげいれです。」

どこか神道的でもあり、アニミズムを想起しますが穿ち過ぎでしょうか?

九、なげいれとは軽さを身上とした花

草の花入(竹花入や掛花入や釣花入など)のカジュアル感のある"遊び"やファッションにおける"はずし"というところでしょうか?

十、なげいれはものにこだわる精神

「日々の生活を大切にするなげいれの精神は、花も器も置き場所も、その人自身の胸に落ちるものでなくては意味の無いものです。あくまでも花の好みにこだわり、器の選択にこだわり、置き場所にこだわる、そうしたこだわりの精神の中から、その人なりの創意工夫が生まれ、その人にしか出来ない花が生まれてきます。」
と最後に含蓄深い言葉で締められています。
最後にこの十ヶ条を読んで感じた事は何かを行う時には、手を抜かず、肩の力を抜くぐらいの気持ちのゆとりと緊張感のバランス感覚を養うことが大事だと思いました。

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