No.152「一碗の持つ奇跡に」
〜コラム 〜
コラムNo.152「一碗の持つ奇跡に」
コロナ禍の中、満足にお稽古に行けず寂しい思いをしている方も多いかと思います。
私はと言うと、コロナとは関係無く、約3年間ずっと稽古に行けない日々が続いています。
3年前の11月。25年間師事してきた先生を亡くしました。
享年90歳。世間的には十分に長生きかもしれませんが、私にとっては余りにも早過ぎる別れでした。
9月に、来年で社中を畳もうと思っている、とは言われていました。
しかし、まだ時間はあると思っていました。
先生の性格を考えると、寂しさを感じる秋ではなく、恐らくは6月か7月の気持ちもまだ明るい時期に終わりにするのだろう、と、そう思っていました。
春までの予定も話してくれていました。
「4月になったら久しぶりに吊炉をしましょうね」
そう言ってくれた、それが先生と交わした最後の、そして永遠に果たせぬ約束になりました。
コロナと関係無く、予期せぬ別れはやってきます。
『次』を約束しても、それが叶うとは限りません。
もっと色々教わりたい事があった。もっともっと一緒の時間を作れば良かった。どれだけそう想っても、もうどうする事も出来ません。
命に永遠は無く、未来を知る術は無く、過去を変える事も出来ず。
だからこそ、『今』を大切にしなければならないのでしょう。
2度と戻らないこの瞬間を、この一時を、全ての出会いと機会を一期一会として。
コロナ禍の中、満足にお稽古に行けず、様々な活動も縮小され、辛い思いをしている人も多いかと思われます。
でもいつの日にか、こんな日々を懐かしんで笑えるように。
この日々すら思い出話として語り合える時が来ると信じて。
今、出来る事に精一杯の想いを傾けていきましょう。
この一碗を交わせる奇跡に感謝を捧げながら。