No.194「ロシアでのお茶会」
〜コラム 〜
No.194 「ロシアでのお茶会」
2014年3月19日、当時大学2年生だった私はロシアの首都モスクワを訪れていた。大学の国際交流行事で、モスクワ大学茶道部のお茶会に客として伺うことになったのである。場所は同大学の教室内に建てられた「清露庵」、1994年に裏千家が寄贈したものだ。茶室は8畳の広間で、3月ということで釣釜が掛けられていた。お点前は茶道部の学生、半東は茶道部の顧問を務めている日本文化専攻の先生だった。国際経験豊富な日本人学生20人程度が客として迎えられたが、茶道の経験年数が少し長いという理由で、ロシア語はおろか英語も出来ない私が正客になってしまった。幸い半東の先生は日本語が堪能で、安心して美味しいお茶とお菓子を頂くことが出来た。
最も印象に残っているのは、待合の床に置かれていた花がチューリップだったことである。日本のお茶会では、なかなかお目にかかることのない花だが、ロシアでは3月に女性へチューリップを贈る風習があるため、この花を入れたとのこと。日本の茶道がロシアへ伝わり、その土地の文化に合わせた形で実践されているのを目の当たりにしたのはとても刺激的で、茶道の中心地とも言える京都から遠く離れた北海道で私が茶道を続けるモチベーションの1つになっている。私もいつか北海道だからこそ出来るお茶会をしてみたい。
お茶会の後、モスクワ大学の茶道部の方たちと歓談する時間があった。半東を務めていた先生は日本で茶道の修行をした経験もあり、長く茶道と関わる先達だと分かった。当時、「侘び」というものがよく分からず(今もよく分かりませんが……)、物の本を読んでも理解出来なかった私は良い機会だと思い、茶道の経験と日本文化の知識を合わせ持つ彼女に「侘びとは何ですか」と尋ねた。すると「まだ分からない、分からないから茶道を続けている。分かったら茶道を続けていないと思う」と返された。どこかに答えが書いてあったり、誰かが教えてくれたりするのではないか、と思っていた自分の浅はかさに気付き、地道に茶道を続けていくしかないのだと思い知った。
このように私にとって思い出深いロシアでのお茶会だが、このお茶会の前日にあたる2014年3月18日、ロシアによるクリミア併合が発表された。その日のモスクワ市街では、旧ソ連の旗を掲げデモ行進をする2~30人程度の集団がいたものの、それ以外の変化を私は感じなかった。また、日本に帰国してからこの事件がニュースで取り上げられているのは見たものの、別の新しい事件が起こると取り上げられることはなくなり、私は当然のように忘れ去ってしまった。
現在、ロシアのウクライナ侵攻に関する報道によって、目を覆いたくなるほどの悲惨な状況が伝えられている。そして、それを取り巻く世界情勢は引き続き楽観視出来るものではない。残念ながらこの世界は、嘘か誠か分からない情報が飛び交い、分断が深まっていくのだろう。ただ、そのような時代に突入したとしても、ロシア国内にも茶道を好きで一生懸命に取り組んでいる人たちがいた、という事実は忘れずにいたいと思う。早く世界平和が達成されるのを願ってやまない。