No.111「四十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」
〜部長コラム 〜
コラムNo.111「四十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て・四十にして惑わず」
高校時代、「四十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」という言葉を聞きました。
リンカーンが閣僚を決めようとしていた時、閣僚候補に抜擢された人物がいたのですが、「顔が気に入らないから嫌だ」と推薦人に返しました。それを聞いた推薦人が「顔は生まれつきだから彼の責任ではない」と反論したところ、リンカーンは「四十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持つべきだ」と言いました。人生経験を積んで、それまでの生き様・考え方が自然と表情に現れるからだそうです。
「生まれた時から成人するまでは親が環境を整え、その子の行動に責任を持たなくてはいけないが、自分で判断が出来るようになったら少しずつ責任が生まれる。二十歳を過ぎたら己どういう人間かを自覚し、三十歳を過ぎたら自分が歩んできた道・己を省みて、四十歳を過ぎたら全てに責任を持てるような人にならなくてはいけない。その為に毎日精進し、世の中の役に立つ人となって欲しい。」と校長先生がおっしゃっていました。孔子の、「四十にして惑わず」~何が起きても動じることなくそれを受け入れる自由さを持ちなさい~という言葉を聞いたのもこの時です。
私の顔はどう見えているのだろうか?将来、自分の顔に責任が持てるようにりたいと思い、日々良い人でいようと努めていた覚えがあります。
世の中に出ると働かない人がいたり、自分の仕事を押し付ける人がいい思いをしていたり、不条理なことが沢山あります。若い時は、自分の勉強になり成長出来るからと頑張れましたが、ある程度の年になり、自分ではどうすることもできない事・変えるのが難しい状況に、なぜ自分だけ?と思う事が多くなりました。不満を抱きながらしているにもかかわらず、お客様に「あなたの顔を見ると落ち着く」と言われたり、お土産やチップを頂くことがあります。ありがたいな、分かってくれる方もいるんだと思っていましたが、最近は、「いい顔」が出来るのは、目の前の方々が良い方だからであって、自分が良い人間であるからではないのかも?と思うようになりました。
もし部長になっていなかったら、高校生の時に学校長先生がして下さった貴重な話を思い出すことも、自分の歩んできた道・己を省みる事も、上に立つ人の苦労を知ることもなかったと思います。とても大変ですが、部長になったからこそ見えてきたものもあります。部長の任期も残りわずかですが、己を省みながら過ごしていきたいと思います。