No.161「無事是貴人」
〜コラム 〜
コラムNo.161 「無事是貴人」
「無事是貴人」お茶席でよく見るお軸の一つであるが、私はこのお軸を見るといつも思い出すことがある。10年以上前にお茶を習いに行っていた先生の話である。
いつものようにお稽古に出向き、初めてこのお軸を目にした私は先生にその意味を尋ねた。
先生は本来の禅語の意味を教えてくださった後、思い出すように戦時中の話をしてくれた。
先生のお母様もまたお茶の先生をされていたらしく、戦争中に皆んなの無事を祈ってこのお軸をお床に飾っていたようだ。そして、毎日このお軸に手を合わせ皆んなの無事を祈っていたと教えてくださった。
その後、先生は甘い物が手に入らなかった時代には煎ったお豆をお干菓子代わりにお稽古していた事、おやつは茹でたじゃがいもや煮た大根だった事、その貧しかった幼い頃を思い出すから今でも主人は大根の煮物が好きではない事など、笑顔を交えながら昔の話をしてくれた。
この日のお稽古は私の中で特別な1日となり、事あるごとに今でも思い出す。
お茶のお稽古とはつくづくお茶だけを習いに行っているのではないのだなと感じた1日でもあった。
お茶のお稽古に行くと幅広い年代の方と交流を持つことができる。
5年前に先生は社中を閉じてしまわれたのだが、このような貴重な話を直接聞く機会も減ってしまうのだと思うと非常に残念である。
今、日本は戦争もなく平和と言われている時代であるが、この一年はコロナ禍で改めて命の大切さに気づかされた。「無事是貴人」私も家族や友人、他の誰かの無事を思う心を大切にしていきたいと改めて思う。