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No.216「一音のために」

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〜コラム 〜

No.216「一音のために」



 オンラインからリアルに戻りつつある中、イベント等も現地開催を取り入れることが増えてきています。先日も、これまで3年間オンライン配信のみで行っていた太鼓演奏会が現地に人を呼び込む形で開催されました。私は、一聴き手として行ったわけですが、日本文化それぞれが似ているものと感じました。
 太鼓も、茶道も、稽古を経て、演奏会や茶席という披露の場があります。日本文化を継承するためには、それぞれの良さを伝えるためには、披露する場が必要であり、この3年間はオンラインで発信をしてきました。オンラインが良くないわけではありません。ただ、現地での太鼓の一音を聞いたときに、やはり現地での良さを感じることに勝るものはないと感じました。一方で、関わり方が変化していることも事実です。
 人口減少、少子高齢化など社会の構造が変化する中、日本文化の担い手も減少の一途を辿っています。ここを増加に転じることは難しいかもしれません。ただ、今、携わっている方々、それぞれが日本文化の良さを発信できれば、在り方は変われど、日本文化は残り続けるのではないかと思いました。

 蛇足ですが、最近は、「これをすることに意味があるんですか?」など、いろんなことが簡略化されがちな時代です。でも、実はそれぞれに意味があり、無駄なことでも、時間が経てば意味があることに気づくこともあります。茶道では、いろんな作法があり、一碗をいただくために多くの過程を踏みます。ここにもいろんな意味や役割があり、その過程があります。
例えば、私は読書が好きですが、必ず本で読みます。タブレットの方もいますが、私は本の重さ、めくるときの感覚、そういったものが好きだからです。ただ、これも人によっては、「わざわざ荷物をなぜ増やすのか?」になると思います。

無駄なことにも、魅力があります。

話は逸れましたが、これからも、一碗、一音、一刺し、そういったことに触れることができるよう、これからの人のために、全てを伝えきることはできませんが、それぞれの意味をしっかりと伝え、受け手になった際には、しっかりと理解して次の者に伝えていきたいものです。

部長コラム(大和勝)