No.13 「お茶と日常」
〜 部長リレーコラム 〜
No.13 「お茶と日常」
お茶を習っていながらこう言っては身も蓋もないが,いろいろなお点前を覚えることより,お茶を点てる行為そのものが好きだ。
お茶を始めたとき,先輩が点てて下さったお茶は細かな泡が美しく美味しかった。私も!と茶筅を振ったが同じお茶とは思えないほど泡はまばらで大きく,私もいつかあんな美味しいお茶を点てたい,そう思って今に至る。
美味しくなあれ,ただそれだけ,あとは無心で振った茶筅が去った後,茶碗の中にふうわりと広がる泡の草原。その瞬間が好き。
でも,お茶がなかなか日常に入ってこない。
美味しい和菓子があると,つい,ふつふつと沸いたお湯で煎茶をいれてしまう(注:うちは熱湯玉露)。同じく美味しい洋菓子があると,紅茶好きでもあるので「今日はフォションかマリアージュ・フレールか?」とついつい紅茶をいれてしまう。もちろん家でも抹茶を点てるが圧倒的に出番が少なく「よそ行き」感がぬぐえない。
ところで,造形家である友人のフェイスブックには時折「うまい菓子をもらったから茶を点てた」と黒い茶碗にいかにも美味しそうな緑をたたえた画像が頻繁に載る。また別の年長の友人は「誰某の家に行くと必ず抹茶を点ててくれた」という話をし,それがいかにも粋で,何とはなしに羨ましく,ちょっと悔しくも思っていた。
あるとき,友人たちを自宅に招いて料理とお酒でもてなした際,時節柄,桜餅があったので,今だ!とばかりに抹茶を点てた。
酒席の後の抹茶は好評を博し,溜飲を下げていたところ,件の年長の友人が自分も点ててみたいと言う。「初心者にはちょっと難しいですよ」と言ってる横で,茶碗の中は見る見る間に美しく細かい泡で満たされた。元来器用なのか,あるいは経験を積んだ人間の厚みなのか。悔しい。私のお稽古の日々は一体何だったの?でも,今なら分かる。
「習うより慣れろ」。
件の友人も先述の造形家も,特別なこととしてでなく,日常当たり前に抹茶を飲み,点てる。週1回お稽古でお茶を点てる私がなるほど敵わないわけである。
かくなる上は,私も抹茶を日常に連れ出そう!
まずは,お茶碗を箱から出さなくては……。(終)
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