茶道裏千家淡交会青年部北海道ブロックのホームページです。
No.67 許されるとき
- HOME >
- コラム >
- No.67 許されるとき
〜 部長コラム 〜
部長コラムNo.67 許されるとき
前回の部長コラムは茶道と出会わせてくれた義理の父との別れについて、書かせていただきました。2度目となる今回はそれより以前と現在、そして未来について書かせていただきたいと思います。
部長というお役を頂戴させていただいたことにより私のような者が、まがりなりにも茶席の責任者や半東を務めさせていただく機会をいただき、あらためて深く関心を持ち様々なことを勉強させていただく日々でした。
そんな中で萩焼 一三代田原兵衛氏のホームページを見させていただいた時「私の造ったものが、私を連れて遠い世界まで旅してくれれば嬉しいです」の一節を拝見し涙がポロポロと出てしまいました。
作陶家さんのそれと比べさせていただくのは大変おこがましいのですが、私も稼業を護り継承していくことだけを考えて生きてきた二十三年でした。
私の嫁ぎ先は代々続く寺院です。時の住職を補佐し稼業を護るのが私の仕事です。決して表に出ることは許されてはおりません、それが私達「寺族」(坊護り)の仕事です。
嫁いで慣れない習慣や風習、しきたりの中で嫁姑の問題などで息苦しい日々を過ごす中、生き詰まって投げ出しそうになった時「貴女が貴女の人生を歩いてなぜ悪いの?」「楽しんで暮らして、又話をきかせてね」と言ってくれた人がいて、この言葉が私たち家族を救い、目の前にかかっていた雲を追い払ってくれました。それは「良い嫁・良い人を辞めよう」と思った瞬間でしたし、「まだ何もしていないし始まってはいない、人と比べて無い物探しをしたり、自分を責めるのを辞めて出来ることをしてみよう」と思った瞬間でもありました。
それからは周囲の反対を押し切り、休んでいたお稽古を再開し、どんなに忙しい時でもお稽古に出かけ この時を乗り越えれば(今思うとお稽古とは名ばかりの気晴らしでしたが)そう考えて日々を乗り越えてきました。
その後気難しかった先代が突然亡くなり、目の回るような日々が過ぎひと段落してからは自分達なりの改革を進め、境内地の整備などにも着手して開かれた寺院・愛されて生きている時から集う寺院を目指してまいりました。
近年では町民の皆さんから寄贈して頂いた着物を小中学生の女の子沢山に来てもらい地元の秋祭りで茶道を体験してもらったり、寺院の既存の和室に水屋と炉を増設し、現住職の主催で茶会を開催したりして広く町民の皆さんにも足を運んでいただきました。
これからも時の住職を補佐し、お出でいただくお檀家様の「また来るからね」「これからも頼むよ」の為に茶道の力をお借りしてまいりたいと思います。
その為にもこれからも深く茶道を勉強して自分自身を高めていけたらと考えています。
私の造った世界観が後世歴代の住職様方と共に遠い未来まで、訪れる方々の五感を刺激して、檀家様方に安らぎを与えてくれ続けられれば嬉しいです。それが私の坊護りとして出来ることの全てであり、一生をかけて精進してまいります。
「茶道と会わせてくれた義理の父へ」
お祖父ちゃんそれで良いかな? 許してくれるよねきっと。私達で良かったかな・・