No.247「深い関わりから得る」
〜コラム 〜
コラムNo.247「深い関わりから得る」
部長コラムも数回目となるといささかネタ切れになってきてしまったが、今回は我が子の習い事から気付かされた事を書きたいと思う。
我が家の息子であるが、4歳の頃から習い事の王道とも言えるピアノを習っている。クラシック音楽に全く興味のなかった夫と幼少期に習ってはいたがピアノが大嫌いだった私の子供が、なぜか今音楽好きに育っている。
私が幼少期に習っていた頃は週に一度先生に自宅に来て教えて頂いていたのだが、全く練習せずにいたので進みも遅く、ただ鍵盤を楽譜通りに押して音を出す事がピアノを弾くという事だと思っていた。そんな私が親となり子供にいざピアノを習わせる時、昔の自分のことはさておいて子供には毎日ピアノを触らせようと心に決めて習いに連れて行った。毎日練習することで弾ける楽しさを知ったのかあっという間に私が習っていたときに使っていた教本を終え、ついには私の知らない教本を使い出した。見たことも聴いたこともない曲もあるが、毎日子供の練習に付き合い、少しずつではあるがどうやら親の私たちの知識も子供と一緒に増えていったらしい。数年前まではバイエルくらいしか知らなかった我が夫も、ショパンのワルツだのバッハのシンフォニアだの言っているから笑ってしまう。
さて、音楽が大好きになった我が子であるが、三年ほど前からコンクールに出るようになった。それまでは自分の好きなように弾いてある程度できたらまるを貰って帰ってきていたが、コンクールに出る時はもう少し時間をかけて楽譜を読み込み、楽譜に書いてある事、その作曲家の人生、時代背景にまで思いを馳せどのような表現ができるか自分で考えて弾く。正直それまでの私はピアノなど楽譜が同じであればみんな同じように弾いているものだと思っていたが、真剣にその世界と向き合うとそれが全く違うという事に気がついた。表現の小さな違いによって曲の印象は全く違い、弾いている人の考えや感情がこんなにも伝わってくるものだと大人になって子供の姿から教わった。深く音楽と向き合わなければこのような世界がそこにあるという事に気づく事もできなかったのだ。
私の思考の癖であるが、ここで私は自分の事と置き換えて考えてみた。
茶道の世界も一緒ではないのか・・・
深く関わり学ぶ事でそれ以前と違う何かを感じる事ができるようになるのではないか。
茶道を習い始める前、私は茶道の心の部分には気づかず、ただ薄茶を点てて飲む事が茶道だと思っていた。入門した時ですら、何のために割り稽古をしているのか、ゆくゆくは茶事ができるようにそのためのお稽古をしてるのだと聞いてはいたが、そもそも茶事というものすらよくわかっていなかった。そんな私も長く茶道を続けてきたことで部長となり茶道と向き合う時間、そして茶道を通じた仲間が必然的に増えていったのだが、今年あるお茶事をした時に今まで感じた事がない感情、気持ちになったのを思い出した。茶事本番まで入念に打ち合わせをして準備を重ね、稽古茶事をして抜けているところはないか皆で真剣に向き合った。当日は心を一つにしてお客様が心地よく過ごせるよう注力し、終わった後はとても清々しい爽やかな気持ちと共にたくさんの学びを得た充実感でいっぱいだった。入門間もない割り稽古をしていた時にはこのような世界があるとは知る由もなかったが、深く関わる事でこのような楽しみがあるという事を知り、深く知る事で楽しみが広がるという事に気づくことができた。
これからも子供は音楽を、私は茶道と向き合っていく事になると思うが、今よりももっと楽しみが広がるよう深く学んでいけたらなと思う。