No.81 「わびさびとは」
〜 連載 学び舎〜
No.81 「わびさびとは」
10月はよく「名残の季節」と呼ばれ、茶壷に残り少なくなった抹茶を眺めたり金継ぎのお茶碗を使ったり中置といったこの月ならではのお点前を行うなど、皆様それぞれの「わびさび」を感じながら楽しむ方も多いかと思います。今回、10月に学び舎の記事を掲載するのにちなみ、和歌から「わびさび」についてお話したいと思います。
茶道や日本の世界観を表す言葉としてよく見聞きする「わびさび」ですが、千利休の師にあたる武野紹鷗(たけのじょうおう)は和歌に造詣が深く、和歌を通して得たものを茶の湯に取り入れたとされ、その中でもこちらの和歌を引用したのは有名と言われています。
みわたせば 花ももみぢもなかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮れ
(見渡してみると、美しく咲く花も見事な紅葉もみたらないことだよ。浜辺の粗末な漁師の小屋だけが目に映る、なんともわびしい秋の夕暮れであることよ。)
鎌倉時代にまとめた勅撰和歌集『新古今和歌集』の中にある、藤原定家の一首です。
美しい花や紅葉を美しいとうたわず否定をし、しかしその風情にわびを見出しています。
一方、千利休もこちらの和歌にわびを感じたそうです。
花をのみ 待つらん人に山里の 雪間の草の 春を見せばや
(桜の開花ばかりを待っているような人に、山里のとけた雪の隙間に芽吹いている春を見せてあげたいなあ。)
『壬二集(みにしゅう)』の中にある、藤原家隆の一首です。
枯れているように見えてそこには燃えるような生命力があり、自然にはそういった熱い「動」の気配がある、そこに利休はわびを感じたそうです。
わびさびを一言で説明するのは難しいですが、こういったところから「わびさびとは」を理解する一つの糸口になるのではないかと思います。
千玄室大宗匠著書の『日本人の心、伝えます』にもわびさびについて書かれていますが、その中で「己を省みて慢心しない姿勢こそがわびであり、茶の湯の心だと定義づけたのです。」とおっしゃっています。ことばの唱和でも、「たえず己れの心をかえりみて」の一文がありますが、ここにもわびさびと繋がっているのだと知り、ことばの意味を今一度考えるそんな機会となりました。
参考文献
千 玄室, 『日本人の心、伝えます』, 幻冬舎
短歌の教科書, https://tanka-textbook.com/miwataseba/