No.31「当意即妙の応対」
〜 連載 学び舎〜
No.31「当意即妙の応対」
茶席を持つ時には、その時々に趣向を考えます。春の華やかさを演出する、秋のしみじみとした情感に思いを馳せる、感謝の気持ちを託す、親しい友人と思い出を語る……亭主はその思いをどのように道具組で表現するかに頭を悩ませます。かといって、あからさまに意図が見え過ぎるのも興ざめです。その加減が茶道では本当に難しく、でも楽しく感じます。
さて、その趣向の中でも、例えば、お客様が知っているであろう物語や和歌に沿って道具組を考える場合があります。また、互いが知っている思い出の品を使用することもあります。いずれも互いに「知っている」ことが前提です。
この「知っている」はずを前提とした古典作品のエピソードは、茶道に大切な「臨機応変」「機転を利かす」に通ずるような気がします。平安貴族の教養の書の一つに白居易(白楽天)の詩文集『白氏文集』があります。『枕草子』には、これを「知っている」前提の機転を利かせた女房のエピソードが出てきます。
中宮定子と清少納言、他の女房達が部屋でおしゃべりしている時に、雪が降ってきました。いつもなら、雪見をするために格子を上げているのですが、その日ははぜか格子は下げられたままです。そして中宮定子が「少納言、香炉峰の雪はどんな様子でしょうね」と問いかけます。「香炉峰」は中国の山なので、見えるはずはありません。他の女房達がいぶかしがる中、清少納言は格子を上げさせて、自らは御簾を巻き上げて、外が見えるようにしました。すると、中宮定子は満足して微笑まれたのです。これは、『白氏文集』の中に、「香炉峰の雪は簾をかかげて見る。」という詩句があるからで、清少納言はこれを行動に移したのです。おそらく中宮定子はそれを期待していたのでしょうが、清少納言は期待を裏切らなかったので満足したのでしょう。他の女房達も、その詩句は知ってはいたのですが、すぐ気付いて行動に移すことは出来なかったと感心します。もう一つ、同じ『枕草子』の中の、「兵衛の蔵人」という女房のエピソードです。時の村上天皇が、たくさん降っていた雪を白い陶器に持って、それに梅の花を挿して、月がとても明るい夜に「これについて歌を詠め。どのように詠むのがよいか。」と、問いました。すると女房は「雪・月・花の時」とだけ答え、村上天皇はたいそう褒めます。これは、『白氏文集』の中に、「雪月花の時、最も君を憶う」という詩句があって、女房は、雪月花が揃っていることから機転を利かせ、帝への親愛の情を詠んだことになるのです。
いずれも、互いが共通の教養を持ち、心も通じ合っているからこそのエピソードです。これは昔の話ではありますけど、茶席を持つ時に亭主がお客様のことを考える気持ちに通じると思います。古典作品からも学べるこのような心を大切にしたいものですね。