No.53「和ろうそくの歴史」
〜 連載 学び舎〜
No.53「和ろうそくの歴史」
開炉が終わり、師走に入ると「夜咄」の季節がやってまいります。
電化生活の日常から離れ、わずかな火の灯を頼りに夜長を楽しむ茶事ですが、
迎え付けの手燭の交換は席入り前のわくわく感がピークの時となります。
家に蝋燭が常備されていることも少なくなってきましたが、蝋燭ときいて、記憶に新しいのは2018年の胆振東部地震における大停電ではないでしょうか。
あれほど電気のありがたさを感じたことはありませんでしたが、暗闇のなか、夏にも関わらず、ぬくもりのある蝋燭の明かりに少しほっとさせられたものでした。
茶席で使われる「ろうそく」は我々が日常で使うパラフィンロウで作られたものではなく、和ろうそくと言われるものになります。
細い藺草(いぐさ)から髄を抜き出し、それをグルグルと巻いたものの上から、木蝋(もくろう)と呼ばれる、漆や櫨(はぜ)の実から採取したロウをかけたものが和ろうそくと言われております
歴史をたどると仏教の伝来とともに中国から渡ってきました。
聖徳太子ゆかりの寺としても知られる奈良大安寺に伝わる記録には、722年に天正天皇から賜った品目の中として「蝋燭」の記述が確認されているそうです。 他いくつかの資料からも平安時代初期にはすでに使われていたことがうかがえます。
しかし、このわずかな輸入品を特権階級の人たちのみが使っていた時代から、国産化されるまでは、しばし時間が必要で、次に歴史の表舞台にでてきたのは室町時代になってからでした。
戦国時代から安土桃山に移り変わる頃、ようやく国産であろう記述がみられ、1567年武田信玄の六女松姫と織田信長の嫡男奇妙丸の婚約の結納品に「越後有明の蝋燭三千張」が贈られたと「甲陽軍艦」に記されています。
蝋燭の産地として、越後(新潟県)をはじめ山城(京都府南部)、陸奥(東北地方)等があげられ、特に越後は原料となる良質の「漆蝋」が採れる為「蝋色潔白にして燭光明るく」と評価されたそうです。
その後次第に多くの城下町や門前町で作られるようになり、江戸時代には提灯などの灯火具も普及し、日常生活で活用する用途が広がっていきました。
「和ろうそく」の中でも茶席用は「数寄屋ろうそく」言われ、その違いは?というと、縦に筋状の縦縞線が入っていることが特徴とのこと。あえて職人さんが掌で縦に筋を付けており、表面の景色付けが目的で、茶碗のへら目に似たような意味合いだそうです。
和ろうそくの特徴として、油煙が少ない、液だれやすすが少ないほか、大きな特徴として、炎が大きくゆっくりと揺らめく独特の燃え方です。
その揺らめきは「1/f」のゆらぎといわれ自立神経を整え、ヒーリング効果のある周波数と言われています。
そう考えると夜咄の刻は日常の喧噪から放れ、まさに癒しの空間に相応しい過ごし方と
いえるでしょう。歴史を紐解くと、脇役というにはもったいない、奥の深い歴史が刻まれた
ものでした。
参考文献:和蝋燭の歴史・・・山崎ます美
有限会社中村ローソク 和蝋燭の歴史と特徴