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No.51「百丈懐海禅師」

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〜 連載 学び舎〜

No.51「百丈懐海禅師」



茶席の掛物で「独坐大雄峯」を目にされたことがあるかと思います。
これは百丈懐海禅師のお言葉です。今回の学び舎は、百丈懐海禅師についてお話致します。

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この方は中国,江西省奉新県にある百丈山に住んでいた懐海和尚のことです。
唐の玄宗時代の人で、720年から814年の在世といわれています。ちなみに、日本天台宗の開祖最澄とか、真言宗の開祖空海が入唐したのは804年といわれてますから、百丈和尚の在世当時に最澄、空海は入唐したと考えられます。

禅が興った初期の頃の中国では、師匠一人に大勢の弟子達があとから、ぞろぞろとついて歩いていたといわれています。そして中国の全土を行脚托鉢をしながら佛道の修行をしていたようです。達磨大師から数えて五代目の弘忍大満禅師の頃になると、三百人、五百人という修行者が一人の師匠のもとに集まってくるようになりました。そうしますと弟子達が、師匠のあとについてぞろぞろと歩くわけにはいかなくなり一つの家を建てて定住するようになりました。それだけの人数の修行者たちが、一ヶ所に集まって集団生活をするようになりますと秩序というものが必要となり、規律というものが大事になってまいります。

今日の禅の規律をまとめた方が百丈和尚で「百丈清規」といわれ、それが今日ではいろいろな清規となって伝統の中に生きているのです。すべての清規の根本になっているのが「百丈清規」といわれております。

「一日不作一日不食」
百丈禅師は、九十五歳の天寿を全うした方であります。
八十歳を過ぎてからでも、弟子達と同じように日常の仕事に精を出された方でした。
そして一日といえども怠るということがありませんでした。
弟子たちは、お体のことを案じ仕事を休まれるようにお願いするのですが、対に聞き入れようとはしません。そこで弟子たちは相談をしまして、道具がなければ、休まれるであろうと、ある日のこと、百丈禅師の鎌や鋤鍬などの道具を隠してしまったのです。

百丈禅師はやむを得ず仕事を休まれましたが、そのかわり、その日からお膳を差し上げても、決して箸をとられず、ついに三日間も食事をいただかれなかったそうです。
そこで弟子が「和尚様は三日間も食事をなされませんが、なぜですか」と問いますと、「一日作さざれば、一日食らわず」の一言であった。というのです。それで仕方なく弟子たちは百丈禅師の道具を出して上げると、よろこんで仕事に出られ、また食事も以前のように召し上がったということです。

よく世間では「一日作さざれば、一日食わず、というのを「仂かざる者、食うべからず」の意味に解して用いられていることが多いようですが、それとは全く内容の異なったものだったそうです。人から強制されたものではなく、また他人に強制するものでもありません。仂くことがそのまま修行であり、佛道の実践であり、茶道の修行であるという意味をもっているのであります。

物事の見方、捉え方によって受けとめ方も変わるのかと思います。
日々“ありがたい”と思う心を忘れない生き方をしていきたいですね…独坐大雄峯