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No.32「茶壺について」

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〜 連載 学び舎〜

No.32「茶壺について」



この時期は風炉から炉へと変わり、茶室を優しく包む火の温もりがふと嬉しくなりますね。
炉開きをすると、「口切りの茶事」を行う方も多いかと思います。
その年の初夏に摘まれた新茶を詰めて封をし、その新茶を口にできる喜びを分かち合う意味で行われる事から「茶人の正月」なんて呼び名もある特別な行事です。
さて、口切りの茶事で必ず出てくるのが茶壷。

半袋(はんたい)という和紙の袋に入った濃茶用の碾茶(抹茶になる前の葉茶)を収め、その周りに薄茶用の碾茶が詰められております。
蓋をして和紙を貼り封印されたものに、口覆(くちおおい)という四方形の布を被せ、組紐で亀甲形に編んだ網かけの袋を被せて床の間へと荘られ、口切りの際亭主により中身が取り出されます。
茶壷は正式には葉茶壷と呼ばれ、高さが小さいもので20cm、大きいものになると50cmにも及ぶものがありますが、多くは30cmほどで首が立ち上がり、肩の部分に2~6個(多くは4個)の乳という耳が付いています。
茶壷には、呂宋(るそん)や南洋・中国などの唐物、鎌倉時代から瀬戸祖母懐(そぼかい)物や室町時代から信楽・備前・丹波などの和物、唐物と和物の中間である島物、仁清の色絵が代表の京焼などがあります。
その中でも呂宋壺は最上級とされ、中国から呂宋(現在のフィリピン)を経由して日本に渡来したことからこう称されており、一般的には、銘印も文様も持たない四耳壺を真壺(まつぼ)、印のある壺は清香壺(せいこうつぼ)と呼ばれています。
元々は献上・運搬するための入れ物でしたが、織田信長や徳川秀吉が書院の飾り道具に用いたことで格式道具の筆頭に位置づけられました。
現在では、口切り茶事以外では中々見る機会は無いかもしれませんが、1年分のお茶が収められ大事に使われていたことを思うと、この最初にいただくお茶の味がよりいっそう特別なものに感じてきます。
余談ですが、童歌「ずいずいずっころばし」の歌詞にも茶壷が出てきますが、江戸時代に宇治茶を徳川将軍家に献上するための茶壷を運ぶ行列を俗に御茶壷道中といい、庶民は粗相の無いよう家の中で通り過ぎるまで息を潜めいていたそうで、この唄は手討ちにされないよう戒めのために歌われた唄だそうです。
こんなところからも、お茶と人とが密接に関係していたことが垣間見え面白いですね。